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医学・生理学と人類学・考古学の遭遇:2022年度ノーベル賞 スパンテ・ぺーボ博士

2023.02.18

医学・生理学と人類学・考古学の遭遇:2022年度ノーベル賞 医学・生理学賞受賞のスバンテ・ペーボ博士

ペーボ博士の日本とのつながり

2022年度ノーベル賞医学・生理学賞を受賞したのはスウェーデン出身のスバンテ・ぺーボ博士でした。「ネアンデルタール人、およびデニソワ人と現生人類の遺伝的分析」が人類の遺伝的系譜を明らかにし、さらに疫学的発展に役立つと評価されたのです。彼は遺伝学と考古学、人類学を結びつけた者として歴史に記憶される研究者となるでしょう。もちろん、古生物学・考古学・人類学・遺伝学等の人気が高い日本ではたいへん話題となりました。また、日本との結びつきでも彼は注目されました。彼はドイツのマックス・プランク進化人類学研究所(*1)の研究者ですが、沖縄科学技術大学院大学(Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University、以下OIST)にも所属する研究者としてことで知られています。2020年には優れた科学者に贈られる「日本国際賞」も受賞しています。日本語に翻訳され話題となった著書(*2)は扇情的な日本語タイトルからも話題となり、ノーベル賞受賞前からベストセラーでした。真摯な研究姿勢、また、その人柄や機知に富んだ講演からもますます人気が高まっています。

考古学が夢だった

私たちが彼の研究にとりわけ注目するのはその学究横断的な研究のありかたです。若い頃彼は考古学者を目指しますが、職業選択的に医学に進みます。そこで彼は臨床的な医学よりも生理学的な研究分野に興味をもち、遺伝学を専攻して研究者としての道を歩みはじめます。けれども実際に取り組んだDNA分析は非常にむずかしく、経過する年代が長ければ長いほど異物のDNAが混入する危険性が高くなります。異物混入のままの分析を大発見とする研究も相次いだため、「汚染されていない」遺伝情報の確保する技術を確立しないとそもそも研究の真偽すら疑われやすいものとなる危惧がありました。そんな状況下でもやり抜くために、慎重な姿勢、丁寧な実験、最新の技術の導入、そして志を一にする同僚との協働を粘り強く進めていきます。そうした研究成果が一気に花開くのがこの20年ほど。彼のチームによるDNAの比較研究で、アフリカで誕生した現生人類がユーラシア大陸に渡り、その後ネアンデルタール人やデニソワ人と交配したことが科学的に証明されました。そして、それは遺伝的な系譜を明らかにするのみならず、現代の疫学的課題にも貢献するようになったのです。
たとえば、高地に適応した民族は実はネアンデルタール人・デニソワ人由来の遺伝子がうまく働いているからだとか、コロナウィルスやHIVウィルスに対する抗体についても各人類に特徴的な遺伝子の影響が見て取れるだとか、まさに現代的な知見に役立つ働きを見せています。彼の研究とその同僚たち、また影響下にある多くの研究者たちによって、短期間のうちに大きな展開を見せている真最中です。

CuriosityとColleague

彼は自分自身の研究者としての拠所として「2つのC」、すなわち、Curiosity(好奇心)とColleague(仲間/同僚)を挙げています。Curiosityはまさに研究の原動力で、それをもち続け探究を続けることで、さらに広い世界、深い世界へと自らを誘ってくれる。一方、Colleagueは、自由に議論、批判しあえる仲間がいるおかげで自分の研究を見直し、発展させることができる、ときには折れそうな心を励ましてもくれる、と言います。さらに遺伝的にみても、現生人類が発展したのはこの2つの特性をもつからではないか、と彼は言います。若者たちへのメッセージもこの「2つのC」を大切にしてほしいと常に訴えています。
これはたいへん示唆的な発言です。本人の内的動機としてCuriosityが大切にされ、外的に支える体制としてColleagueの存在が担保される、というのは、平凡な私たちが学習する環境の中でも、とりわけ大切にされなければならないものです。教える側が過度に斟酌するのではなく、学ぶ側の内的動機が発展するための教育。まさに、PISA型教育の目指すところです。また、「場」に「人が集まる」ことで、議論し、支え合う仲間をつくることは、教育のあるべき姿であると私たちが日々実感しているところです。

文理の壁を超えてさらに横断的な学びへ

遺伝学や生命科学はまさに日進月歩に発展している研究分野です。一方、人類学、考古学は地道で丁寧な検証が必要とされる学問です。回り道して子どもの頃の「考古学者」の夢を叶えた彼の功績は、いわゆる「文理の壁」を超えただけでなく、まさに横断的な学びの姿勢を目指す私たちが今後とも注目すべきものだと言えます。

*1 マックス・プランク進化人類学研究所( Max-Planck-Institut für evolutionäre Anthropologie)はドイツのライプツィヒに1997年に創設。遺伝学と人類学、心理学、言語学等を結びつける研究をすすめる。世界最大級の基礎研究機関で多くのノーベル賞受賞者を輩出する「マックス・プランク協会」に属する一機関。高名な物理学者のマックス・プランクに因んで命名された。
*2 ぺーボ博士の著作は以下。彼自身の研究史における自伝的エッセーです。 スバンテ・ペーボ著、野中香方子訳『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋、2015年、原著Svante Pääbo, Neanderthal Man: In Search of Lost Genomes, Basic Books, 2014 )

オービットアカデミックセンター 代表 後藤敏夫