オービットタイムズ

Home オービットタイムズ 【OB特別寄稿】 人間の行動や社会の変化を分析 第1回 政策研究博士 江上弘幸氏

【OB特別寄稿】 人間の行動や社会の変化を分析 第1回 政策研究博士 江上弘幸氏

2022.10.20

本稿はオービットOBの政策研究博士 江上弘幸氏(現在 日本大学経済学部 専門研究 助教授)が、「オービット生が知的に刺激されるような『知の探究』のための原稿を寄稿してほしい」というオービット太郎の依頼に応えて寄稿した書き下ろし原稿です。
全3回のシリーズ掲載です。

第1回 統計的因果推論に魅せられて

私は日本大学経済学部に所属する研究者です。統計的因果推論という、データを使って因果関係を実証するためのテクニックを軸に、人間の行動や社会の変化を分析しています。データサイエンスといった方が分かりやすいかもしれません。10年前に留学したアメリカの大学院でこのテクニックに魅せられたことがきっかけで、研究を仕事にするようになりました。
私の経歴は、一般的な研究者像と少し違います。私は今38歳ですが、実はほんの1年前に研究者として独り立ちしたばかりです。30代前半までは日本銀行で働いていました。留学から帰国後は日銀に所属しながら博士課程に通ったものの、最終的には退職して研究に専念し、36歳で博士号を取得しました。
この寄稿では、1) 統計的因果推論の魅力を説明したあと、2) 研究者になる方法や、3) あまり知られていない社会科学研究者の生活を紹介します。

1. 統計的因果推論 (Causal InferenceもしくはProgram evaluation)

統計的因果推論とは、データを使って何かの因果関係(何かの効果)を示すテクニックです。一見当たり前にみえる因果関係でも、実は科学的に明らかになっていないものが多いのです。例えば、「マスクの着用義務はコロナ感染者数を減らす」という仮説について考えてみます。マスクをつければ空気の流れが遮られ、感染が減ることはほとんど自明のように思えます。実際、理化学研究所がスーパーコンピュータで空気の流れをシミュレーションしたところ、マスクで飛散を防げることが示されました。さて、この仮説は検証できたといえるでしょうか?

表:一見自明にみえるマスクが感染を防ぐ効果
Source: 理化学研究所
でも、マスクを外すときにその表面を触ってしまう人が多ければ、かえって手にウィルスがついて感染が広がってしまうかもしれません。また、普段は着用していても、肝心なおしゃべりのときにマスクを外してしまうひとが多いかもしれません。このシミュレーションは、空気の流れは予測できても、人の不規則な行動までは予測していません。
このように、理論上はコロナ感染を減らすはずのマスク着用であっても、実際に機能したかどうかを調べるには、データを分析する必要があります。「マスク着用義務を課す(A)とコロナ感染者数(B)が減る」、つまり「AがBに影響するかどうか」をデータで科学的に検証するテクニックが、統計的因果推論です。
実際に、マスクの効果を統計的因果推論を用いて検証した研究がいくつもあります(引用1)。その結果、マスクが感染者数を減らす効果は高いことが、現実社会のデータからも裏付けられました。一方、レストランなどの営業規制は、感染者数を減らす効果に疑問符が付いています。
「AがBに影響するかどうか」を検証する統計的因果推論は、生物医学、経済学、政治学、教育学など幅広い科学分野で使われています。これによって、様々な偏見や思い込みが、科学的に検証されるようになりました。例えば、子育てする親の間で「電気をつけたままで子供を寝かせると近視になる」という「思い込み」が2000年代初頭に広まりましたが、後にこの仮説はオハイオ大学の研究により誤っていることが分かりました(引用2)。
統計的因果推論の魅力は、未知の因果関係を解明できることです。この分野が目覚ましい発展をとげたのは過去10~20年のことであり、世界にはまだまだ解明されていない因果関係がたくさんあります。
私の研究の中で、学生の皆さんに親しみやすいのは、ビデオゲームの研究でしょう。みなさんは、ゲームをたくさんやると暴力的になったり、頭が悪くなったり、イライラしたりすると聞いたことはありませんか。不安が減ったり集中力が上がったりするという話はどうでしょうか。これまでゲームの影響についてたくさんの研究者が調べてきましたが、実は、科学的に結論が出ていないことばかりなのです。
現在、私たちの研究チームでは、ゲームの調査会社の協力で収集した10万人以上のデータに統計的因果推論を適用して、ビデオゲームの効果を調べています。 まずはじめに、ゲーム(Nintendo SwitchとPS5)をプレイすることが心理的健康を改善する効果を持っているかを調べました。コロナ禍で人々の心理的健康が脅かされる中、ステイホーム中にゲームをプレイする人々が増えたため、その心理面での影響を知りたいと考えたのです。
その結果、ゲームは不安を和らげ、生活の満足度を高めることで心理的健康の改善に寄与していることが分かりました。機械学習を使って詳しく分析すると、Nintendo Switchが老若男女問わず幅広いユーザーの健康に寄与する一方で、PS5は特に成人独身男性の健康に寄与していることも分かりました。これまで統計的因果推論を用いてゲームの影響を分析した研究はほとんどなかったので、この研究は科学への重要な貢献となると私たちは考えています。

表:Nintendo SwitchとPS5の対象的な心理的影響
Notes: 色が効果の大きさをあらわし、棒の横幅はサンプル数をあらわす。
Source: authors’ calculations
引用文献
引用1 東京大学政策評価研究教育センター http://www.crepe.e.u-tokyo.ac.jp/material/crepecl10.html
引用2 伊藤公一郎著「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」
(続く)第2回は2022年11月15日(火)の予定です。

オービット太郎よりメッセージ

統計的因果推論は今注目されている最先端の研究テーマですね。貴君のデータサイエンスでの分析研究は高い評価を受けています。当職も本や雑誌などで目にしています。貴君の経済学や政治学などいろいろなテーマに縦横に且つ多角度にアプローチしているのも、世界のトップレベルの大学院(Graduate courses)での研究や日銀時代の実践的業務、世界会議、発展途上国でのフィールドワーク、さまざまなダイバーシティ(Diversity)溢れる場での研究や実践の成果と考えます。 オービット時代からの旺盛な知的好奇心がこれらのルーツであり、オービットでのインタラクティブな授業がこの好奇心を大きくふくらませているのだと実感し、感慨深く読ませていただきました。(オービット太郎こと後藤敏夫)

江上弘幸氏の「卒業生の活躍・合格後の活躍を支えるインタラクティブな授業 2022年10月20日付」を合わせてご覧ください。